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09

06

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今暫くの便

7月に母が亡くなり、葬儀を終え
8月には四十九日。早いものだわ。
法事に合わせて8月は2回函館へ。
「2回も来なくてもいい」と言ってたのに、
2回目は泊まらずに帰ると知ると、「なんだ・・」と
相変わらず勝手な父親である。

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すっかり片づけて、置いてあった荷物も引きあげたので
もう実家に泊まることはない。
今後はホテル泊。

羽田は相変わらず閑散。
でも、飛行機はけっこう混んでいた。
滑走路に向かってくる飛行機。駐機の尾翼がシャチみたいだね。

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これは帰りの飛行機の窓から着陸前に見えた
けっこう近くを飛んでた飛行機。
車輪出してるね。ほぼ同時に着陸した。滑走路はもちろん離れてたけど。

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中旬に行ったとき、弟に「借りたものを返しなさい」と伝えた。
父親に口止めされていたけど、あれから1か月、
ちっとも話そうとしない父親。弟の高飛車な口ぶりが変わらないので
「縁を切るなら借りたものを返してからにしなさい」と言ってしまった。
「そうだな」と弟は答えたものの、どうなったか実家から戻っても気になっていた。
口止めされたことを言ってしまったこと、弟がこれからどうするのか、・・・

ところが、私が2回目に実家に行く2週間の間に、
「金返せ」の手紙が届いたらしい。
手紙の応酬で喧嘩したようだというのは父の話だが、どこまでわかっているのか・・。
とにかく、父から借りて完済したらしい。よかった!
私が弟に言ったことで、手紙の前にワンクッションにはなったようだ。

たとえどんな嫁だろうと親戚だろうと、お金のことは別なのだよ。
今まで甘えていたのだから、特に、父よ。
他人事のように言ってるけど、あなたの顔を潰しているのだよ。
周りに言いふらしていた悪い人だと、亡くなった伯母のこと言わないで。
他人のせいにするな。自分の息子の不始末なんだから。
でも、本当に全部返せてよかった。もっと早くにするべきだった。
私はあの人たちと縁が切れて清々したよ。

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函館は雨だったけど、雲の上は夕焼けが美しかった。
なんだか色々あったけど、徐々にスッキリしてきてるよ。
次は納骨。

07

27

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Thanks

私がしてきたことをわかってくれてる人は確かにいた。
かかりつけ医が、お焼香に来てくれたのだ。
そこで、母の闘病、死に至るまでの経過を伝えることができて
気持ちがとても楽になった。
医師は父の話より私の話を聞いてくれる。

透析の手術のとき、父は耳が遠いので、詳しく細かい説明は私が医師から聞き
わかりやすく両親に伝えて、ケアマネさんと相談して治療や手術、入院を計画した。
医師は両親から「もう何もしないで」と言われ、説得は難しく、透析を諦めかけてたらしい。
「何もしないでいると助かるものも助からないと思って・・」
私が通い始めたので、私を仲介にして透析を始めることができた。

知ってる人がいるというだけで心は救われる。
何も知らない人は平気で人を傷つける。
よく知りもしないときには何も語らないことだね。

07

27

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2020年 7月の最期の便

7月に母が退院した翌日、
「もう俺の手には余る」と、手術後の傷のために立てなくなった母に
どう対応したらよいかという父からの電話があった。
ケアマネさんに連絡して、介護の負担が軽くなるよう相談するから、と話す。
次の日に様子を見に行きます、と約束してくれたケアマネさんのことを
折り返し父に電話する。オロオロしている父では話にならないので
母に電話をかわってもらう。
退院したばかりの母も「もうだめだ。父を見ていられない」と言う。
周りも手助けするし、父が楽できるようにするから。と話す。
「わかったよ、くれぐれもお父さんのことよろしく頼むね」と母に言われ、電話を切った。
それが私が母と交わした最後の会話だった。

その後、実家からは何も連絡がなく、穏やかになったのかな、と思いつつ
1週間後に「どうなった?」と電話した。
弟から「今、入院している」とのこと。あのあと、数日は透析に通ったが
週半ばの頃にひどい頭痛がすると訴えて救急搬送されたらしい。
そのまま入院しているという。いつもそうだが、私には何も連絡がない。
困ったとき、弱ったときにどうしよう、と言われるだけで
手術するとか入院したとか、事後報告なのだ。
そのあと、父からは「もうだめだ」と電話があった。
そしてすぐに亡くなったとの知らせ。
敗血症だった。

いつもの定期便が、葬儀のための滞在になった。
実家に行くと、叔父夫婦がいた。
そこで生前の母の話をしていたが、叔父が
「4年間、よく世話してたね、他の人じゃできないよ」と褒めていたら
突然思い出したのか、父が私に
「俺は施設にやるような薄情なことはしない。お前は母親を施設に入れる算段を
ケアマネとしてただろう。」と言いだした。
「お父さんも高齢でいつどうなるかわからないから相談してただけよ」
と言ったところ、彼に火が付いた。
「お母さんはな、お前を恨んでるって言ってたぞ。あのお母さんがそんなこと言うなんて
おまえ、何やったんだ?帰れ!」
帰れ?はあ?である。
確かに恨むとは言われたけど、何も知らないくせに、帰れだと?
葬式に来た娘に帰れだと?
そこで叔父が口をはさんだ。
「お前、親に逆らっちゃだめだ。大人なんだから、はいそうですかと言いなさい」
これで私の堪忍袋の緒がぶっちぎれた。
「何も知らないくせに何言ってるの。」
そして「か え り ま せ ん!!!」と言って父を睨みつけた。
葬式に出ないで帰れってことは、縁を切るってことだよ。
わかってるのかオヤジ!とは言わなかったけど
「ここまで言われるとは思わなかった。もうここには2度と来ない」としみじみ言ったわ。
いや本当に、もう実家には行かないよ。法事には行くけど
今までのように父の様子を見に行ったりはしない。
私がやってきたことは全くの無駄だった。
馬鹿らしい。

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斎場は函館山の中腹にあり、海が見える。
お骨は家に戻り、仕出しを頼んで親戚の集まりをした。

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豪華な仕出しだった。蟹あり、すき焼鍋あり、寿司あり、刺身あり、・・・
葬儀の酒席といえば、それまで故人が抑えてきた諸々の物事が
重しが消えたことで噴き出すものだけど
今回もその通りになり。
弟が本家の伯母に絡む絡む。そうなるのは当然なんだけど。
そうこうしているうちに、伯母の味方の叔母が怒りだし、会はお開きとなった。
伯母叔母は嫁同士であり、伯母に叔母は抱き込まれているのだが
所詮は叔父のコントロールが利かないということなのよ。
伯父も叔父も、女を見る目が無い。そっくりなのは兄弟だから仕方ないか。
その夜は遅くまで、残った家族と家族同様に母が面倒をみていた私の従姉妹と語り合った。

次の朝、叔母から怒りの電話があり、その勢いに父が思わず
「昨日息子が怒ってね」と要らんことを言い出した。
その言葉にさらにヒートアップした叔母の話に、耳の遠い父はついていけず
ちょうどそこにお焼香のお客さんが来たので、私が電話を引き継いだ。
(いつも損な役回りだよ)
昨日のお礼と、弟が伯母にしつこく絡んだお詫びをしたが彼女の怒りはおさまらない。
「ひとに借金しておいて大きなこと言わないでって伝えて頂戴」と捨て台詞を残し、電話を切った。

弟が昔叔父から借金をしたのは知っていた。が、母からは借金は完済したと聞いていた。
だが他の借金は返していたが、叔父の借金は一部しか返していなかったのだ。
父にそのことを言うと、「あれがだらしないから」。いやそうじゃないでしょ。
父も母も、叔父に甘えていたんじゃないの。
叔母からの電話のあとすぐに叔父から電話があり
父に「さっきの話、気にしなくていいから」とフォロー。
父は「そっちに遊びにいったときに持っていくから」と答えていたが
実際行くわけない。行くときは私が世話することになるだろうし。
「お母さんがいなくなってお前たちに風当たりが強くなった。俺もいつどうなるかわからない。
これからは慎重にな」って言うけど、私は誰にも借りはありません。
私たちに親切な人は親が世話してあげたからだよ、なんて最初からわかってます。
感謝はするけど、それだけです。
自分たちが世話したのを返してくれているんだから・・て甘えてたのは親のほうだろが。
なんて口には出しませんよ。
親がいなくなって、縁を切る人もいれば切られる人もいる。
残った縁だけ大事にすればいいだけのこと。
「生前の時と同じようによろしくお付き合いお願いしますね」と他人に言う父に
「私に向かって帰れと言ったことは忘れないよ」と心で呟いたのであった。
そんなこんなで母とのお別れは終わった。
とにかく、何もかも馬鹿らしいと思えたわ。

もう言えないけど、母に言いたい。
父をよろしくと言われたから、私から縁を切るようなことはしない。
でも、父が母の言葉を鵜呑みにして、もう家に来るなと言うなら、行きません。
どうぞ、死んでも恨み続けたまえ。



07

04

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切りました

夏恒例の行事。

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サッパリスッキリ!

07

04

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なんだかな

母親は「もういい、何もしなくても」と言うのだが
父親はそうはいかない。
ずっと傍にいて、少しでも母の体調が悪くなるとオロオロする。
それは仕方のないことなんだけど
かと言って、医師や訪問看護の方の言うことを守っているわけではなく
自分なりの判断で世話をしている。
まあ年寄りなんだから、それも仕方のないことだわね。
そのために私が手伝いに行ってるわけなのだが
私の言うことはまるで聞かない。まったく。

昨年、大動脈瘤の検査に行き
「もういい、何も治療しない、手術しない」と母は担当医に言い
「妻が言っているのでそれでいい」と父も言い
「両親がそう言ってますので」と私も同意した。
すると医師は「治療も手術もしないということは検査しても無意味です」と
インフォームドコンセントの用紙に記入して終わった。
ただ病院に行って長い時間待ち、なんの検査もせずに帰ってきた。
透析への影響を調べてほしかったのだが、
まったくこちらの話はきいてもらえなかった。
インフォームドコンセントの用紙には、
「手術治療しなければ大動脈瘤破裂で死亡の可能性あり」
と書かれてある。
もちろん、そのリスクはあると知ったうえで
治療・手術はしないという意志を確認してもらったわけだ。
しかし今回、違う担当医の執刀で大動脈瘤の手術が行われた。

今回手術をすることになったと弟から連絡があった時
「何もしないって言ってたけど、するの?」ときいた。
「下血して検査したところ、泌尿器科で内視鏡による手術をしようということになった。
ところが、大動脈瘤が大きくなっていることで、泌尿器科の医師から、簡単な手術でも
リスクを排除してほしいということになった」とのこと。
つまり、大動脈瘤の手術はメインではなく、補助的なもの。
補助的なもののほうが大きい手術ではあるけど。
確かに大動脈瘤の治療・手術はしない、放置すれば死亡のリスクありという
インフォームドコンセントはあった。
でも、他の病気治療への影響は何も言及せず。
透析への影響についてきいたとき「僕には関係ない」とあの医師は言った。
結局、大動脈瘤以外は知らんがな、の態度がこういう事態を招いたんじゃないの。

さて、今回の手術入院はこんな経緯を辿ったわけだが
私が実家に着いたとたん、病院から呼び出しの電話があった。
大動脈瘤の手術をして数日後。
足の血管に血栓が見つかり、それを除去するという。
手術の説明と同意書が必要なので、すぐに来てほしいと言う。
行ってみると、血栓をとる手術の執刀医は、昨年のあの医師だった。

手術の説明のときも、要領を得ないくせに
何度も「言ってる意味わかります?」ときいてくる。
そりゃ聞いてる人わかんないよ、と思いつつ私のなかで翻訳して復唱する。
自分の説明よりわかりやすいのか、「娘さん、仕事はなんですか?」ときいてくる。
そんなの今関係ある?「普通の会社です」と答える。
一通り説明をきいて、血栓で詰まってると足が壊死して切断することになる。
と予想通りの話になったので「今手術するという選択肢しかないですね」と言うと
「いやいや、僕は手術するべきとか言ってませんから」。
はいはい。じゃ本人を説得します。(心の声)

母はやはりもうこれ以上は何もしない、と言い続ける。
大動脈瘤の手術も、弟と父が説得したというか、母が折れたのだろう。
今回の足の血管の手術も、母が折れるように私が話さなくてはならない。
「今まで自分が我慢してきたのだから、私の足が腐るのをお前たちは我慢して見ていなさい」
と、これまたとんでもない理論である。切り返しに
「お父さんが我慢できないんじゃない」と父を持ち出す。
これが一番母の弱みなことを、娘の私は知っている。
「・・・ずるいよ。そうやって私を縛る」と母。
「縛るも何も、お父さんが生きているうちはお母さんが我慢するしかない」。
「お前は・・一生恨んでやる。」
「はいはい。なんぼでも恨んでください」
「死んでも恨むよ」
「はいはい。恨んでもいいから、手術をしてお父さんを安心させてあげましょう」
と、力業。損な役回りだわ。
父はひたすら母にお願いするだけで、恨まれるようなことはしたくないのだから。

まあ色々あったけど、追加の手術も終わり、
新型コロナウイルスの影響で面会禁止になっているのに
毎日見舞いに行かなかったら、俺は心配で落ち着かないと言う父を
なだめたり脅したり病院に交渉したり。
母が元気だったころは、よく「周りに迷惑はかけたくない」と言っていたものだけど
4年前の手術の後、後遺症で思うように動けなくなった。
「もういい、何もしない」というのはそのためだと思うのだけど
でも、こうなってしまったら、なるべく生活の質を落とさないようなメンテは必要だよ。
4年前のあの手術が彼女の大きな分岐点だった。
結果が今と変わらないかもしれないけど、もっと早く私にも相談してほしかった。

でもまあ、すべては彼女の選択の積み上げなのだ。
彼女は「失敗だった」と呟くけど、それでもなるようにしかならない。
人生が一度きりというのは残酷な現実である。

07

04

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2020年 6月の定期便 

5月は状況が不透明だったのでお休みし、6月に函館へ。
前日、メールで「機材変更」の連絡があり
プロペラ機なので、大きな荷物は預けるように・・とのこと。
プ、プロペラ機ですと?
32年前にカナダへ新婚旅行に行ったとき以来である。
あの時は揺れまくったなあ。

羽田空港は4月より人は多かったが、まだまだ。
こりゃ確かに小さな機材にはなるわ・・と思いつつ、バスで移動。

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見えた。・・・小さっ!
他の乗客も皆小ささに驚き。
バスからバスに乗り換えてるような感じ。

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まさか羽田空港から、Q-400に乗るとは。
函館で丘珠に飛ぶのは見たことあるけど
これで1時間半、津軽海峡越えるのよ?うはぁ、と緊張。

でも、思ったより揺れなかった。揺れはしたけど。
CAさんは2名で、久しぶりにビデオではなく、人がしている機内安全の説明を見た。

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函館に着いて、チェックインまで時間があるので
まずはラーメン。鳳蘭の塩ラーメン美味しい。
弁慶力餅の店構えが懐かしい。
たたんじゃったお店が多い中で、頑張っている。

時間がたっぷりあったので、青柳町のジャズ喫茶  J.B.HOUSE に。
変わってないのよね~。マスターは白髪になっているけど
礼儀正しさと珈琲の美味しさは相変わらずだし。
ウイスキーもたくさんありそう。
私、函館に住んでたら絶対ここに入り浸っていると思う。

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函館の西部地区の家って、蔦がからんでいる家が多いのだけど
この家は突き抜けてるな~。
散歩の途中でみつけたお宅。

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珈琲は飲んだけど、ソフトクリームが食べたくなり、
山川牛乳のソフトクリームを食べることができるマリオドールへ。

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シフォンケーキとソフトクリームのセット。紅茶には薔薇のジャムが付いてます。
ソフトクリームはテイクアウトもしてます。
とにかく美味しい。

翌日から実家に寝泊まり。今回は母親が手術入院しているので
父の気持ちを支えることが大きかったかな。
プロ野球が始まったので助かったけど、
北海道は日ハム優先のテレビ放送なので、父怒る怒る。

せっかく父が育てた花々、母が退院するまでもたないようなので
写真におさめておいた。
綺麗な薔薇。などなど。

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いろいろ考えることはあれど、とにかく来月も行くわ。


05

16

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Thanks!

母の日である。

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花もいいがケーキもいいのである。

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ミシン縫いではなくチクチク手縫い。
私なら「んがー!!」となっちゃうね。

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04

30

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58

花もケーキも思うように買えないこのご時世。
ありがたや誕生日。


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この先どうなるかわからんけど・・・
まずは無事安寧を願おう。


04

30

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2020年 4月の定期便

不要不急の外出は控えるようにとのお達しであるが
これは必要なことだと言い訳しつつ函館へ。
羽田空港はガラガラ。
函館行の飛行機の乗客も20人程度かな。
日本の経済も他国の経済も大変なことだとますます思う。

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函館の街にはもちろん観光客などおりませぬ。
到着したのが17日。翌日から観光施設が軒並み休みになる直前。

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もちろん函館山ロープウェイも休みになる。
夜景だけでも観に行こう、と夕暮れを急ぐ。

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ロープウェイには、私達ともう1人の乗客、3人だけ。
こんなに空いてるロープウェイは初めてよ。

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駒ヶ岳にはまだ雪が残ってて、山頂はやはり寒い。

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次第に夜が濃くなっていく。
下山してどこかで晩御飯、と思ったけど、
開いてるお店がわからないので山頂のレストランで。

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函館の綺麗な夜景を、世界中の人に観てほしい。
早くその日が来ることを願う。

この日は国際ホテルに宿泊。
温泉は貸し切り状態。
朝食バイキングは定食になっていたけど
この種類と量はさすがだわ!
このほかにもパンやスープも頼める。

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お土産を西波止場で購入。(開いてた!)
その近くでは岸壁をきれいな公園に改築中。
だいぶできてて、なかなかに綺麗。

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実家に行く前にぶらっと散歩。
観光施設はどこもやってないから、景色だけだけど
景色だけでも綺麗だよね。
有名な八幡坂でジャンプ写真。
連写じゃなくて3回飛んだ。
3回でこれ撮れるって凄いわ私。

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アニメの聖地「菊泉」。
近くの昆布無人販売所。買う人いるのかしら・・・
肌寒かったので温かいぜんざい。バナナのも温かいの。

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この日の宿泊は HakoBA函館.。
前身のホテルニューハコダテの時から憧れていた建物。

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元々は銀行の建物なので、堅牢な造り。
廊下にはホテルニューハコダテの看板が飾ってある。

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ちなみに13年前ぐらいにふらっと立ち寄った
ホテルニューハコダテのロビー。
何やらライブをやっていた。そのロビーは今は客室になっているみたい。

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チェックアウトは10時。
近くをぶらっとするけど、どこも閉まってます。
人も歩いておりません。


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このあと、娘は飛行機で戻り、私は1週間実家で父の手伝い。
毎日年寄りとバトルしながらなんとか過ごした。
一歩も外には出ていないという・・・凄いね私。
帰りの飛行機はまたガラガラ。
この日は東京上空のルートだったみたいで
スカイツリーと東京タワーを見下ろしながら着陸。
行きも帰りもサービスは一切なし。
でも、飛んでくれるだけでもありがたい。本当に。

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来月はどうなるか予測不能なので、様子見して
月末ぐらいに行こうかと思っています。


04

07

コメント

結婚記念日に

六本木でランチ。

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胡椒のアイスと、酒粕でマリネしたフォアグラのアイス。
甘くなーい。大人のアイスです。

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結婚前にデートしたレストラン。
新型肺炎の影響で、お客さんは私たちだけ。
マダムは明るく接客してくれたけど
周りで雑談や談笑のない食事は寂しい。
美味しいもの好きな私にとっては、困るんですよ。本当に。


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